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另一个我

那須  
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June 06

如果生活平静如水

 

昨天,接到了一位好久不曾联系的同学的电话,回想起了好久不曾在记忆中出现的初中时的生活。

都说上了年纪的人爱回忆过去,而回忆可以带来新的活力和动力。

而我的回忆虽是由友人的一个电话引起,却又是那么的不经意,那么的不知所措,因为不知道自己是否是真的应该通过回忆反省一下现在的自己,反省一下现在的自己所过着的不堪的生活,而去重新树立一个新的蓬勃的目标,并像从前那个傻傻的自己一样,为着自己那微薄的目标而作自己所能够做的微薄的努力。

生活常常使我不知所措,不是我有问题,就是生活之于我就像兔子之于守株之人,一切得到都太偶然,都没有付出与别人同样的努力,所以生活就会以某种特殊的方式使我承受痛苦、让我经历折磨,而这所谓的痛苦与折磨却常常是无形的、孤独的,所以也往往就是最最让人无法抗拒、无法克服的,像鸦片之于人。

如果我可以还像孩童时一样,即使是天塌下来,只要痛哭一次,就可以雨过天晴,就可以笑若繁星。

成长带给我们的究竟是什么?就只是随时可以寻找到无数个可以为自己开脱的借口的所谓能力,就只是那些逃之不去、避之不及的生活的风风雨雨,难道就不能有一些新的期盼、新的期许?

如果可以就这样痛哭到天明,如果可以就这样永远躲避在那可以为自己遮挡一切风雨的树底。

生活可以平静如水,生活可能平静如水,可自己心中滚滚的波涛又有谁能真正理解?

 

如果再回到从前

所有一切重演
我是否会明白生活重点

不怕挫折

没有空虚埋怨
我看得更

......

April 12

童年

这几天东京一直下雨,淅淅沥沥的。季节还真的是有一些反常,梅雨季节,雨反到很少;而本应该是阳光明媚的冬春之交,却下个没完没了。

想起了小时候,下雨时不能出去玩儿,于是便趴在窗台上,大声嚷着那首古老的童谣:

 

大雨哗哗下

北京来电话

让我去当兵

我还没长大

 

那时,在年少无邪的童心里,一切童谣都是没有文字意义的,也没有心思去思考什么文字意义,因为那时少年的心早已经跳出窗外,在想着雨后河沟里将滋生的各种好玩儿的小蝌蚪似的小东东,现在都已经忘记了当时是怎么叫那些小动物的,应该是很土的东北话儿吧!是的,雨后天晴时,各种各样的小蝌蚪在小河沟里游来游去,那小河沟也就成了我们这些孩子们的天堂。拿一个小瓶子,一会儿便可以捉到很多了,于是与小伙伴们相互比试谁捉到的更大,谁捉到的更好玩儿,等到玩够了、看够了之后,便可以是家里养的鸡鸭鹅大饱口福。

不知现在的孩子们在下雨时在唱什么童谣,在下雨后是否还可以捉到小蝌蚪,或者,每天只是坐在电视或电脑前,在电视中或网络里度过自己的童年。

 

我的童年,故事很多很多,每一个都是那么的幸福甜蜜,不可言传,今天的孩子们已经无法体会往昔的快乐,与大自然的接触。世界变得开阔了,但是开阔了的世界实际上却在无形中剥夺了那种纯朴的快乐。

Happy 牛 Year!

 

今年は丑年ですが、中国では、”牛(niu)”の発音が英語の ”New” と同じなので、 ”Happy 牛(ニュー) Year!!” と言うことがあります。
特に若者のあいだでは今年の流行語NO.1になるぐらいの人気です。
この”牛(ニュー)”ですが、動物の牛の意味のほかに、俗語で「すごい」という意味もあります。
友人との会話で、「あなたは牛だね!」というように褒め言葉として使うこともあれば、喧嘩になってしまったときには、「お前、自分だけ牛だと思っているのか?!」と言ったりすることもあります。

このように、中国語には同じ発音の漢字が数多くあるため、字を置き換えることがよくあります。

旧正月になるとあちこちで魚(特に鯉)を抱いている「年年有余」という子供の絵を見かけます。
中国語では、魚(yu)は余裕の「余」と同音であることから、「年年有魚(余)(年ごとにゆとりが出る)」という意味になり、大変縁起の良いものとされています。
また、魚は同様の理由で年越しの食材としても好まれます。

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また、お正月に不注意でお皿を割ってしまったときには、「砕砕平安、砕砕平安」と言います。中国語ではお皿を割るの“割る”に当たる「砕」が歳月の「歳(sui)」と同じ発音で、「砕砕平安」、すなわち「歳歳平安(毎年平安でありますように!)」という意味になるからです。

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逆に発音が同じことから、タブーとなってしまうこともあります。たとえば、友達や恋人同士で梨(なし)を分け合うことはしません。
梨(li)の発音が離れるの「離」と同じためです。
また、結婚祝いに時計をプレゼントするようなこともしません。中国語では時計の発音は「鐘(zhong)」で終わりの「終」の発音と同じだからです。

英語学習にまつわるジョーク

 

去年開催されたOlympicを機に、中国では英語学習がますますブームになってきています。
そんな中、中国でもっとも人気のある英語学習サイトが「English Corner」。
英会話にまつわるジョークがたくさん掲載されていて、なかなか面白いので少しご紹介します。

その1:中国習慣で会話するCさん(Chinese)とAさん(American):
Aさん:"Ms.C, you are very beautiful."
Cさん:"Where? Where?" (中国語では「とんでもございません。」と謙譲の意味になります。)
Aさん(confused):"Everywhere…everywhere…"

その2:英語はまだあまり上手くないが英語学習に熱心なCさん。ある日、町で歩いていたら、一人の外国人にぶつかってしまいました。
Cさん:"I’m sorry."
Aさん:"I’m sorry, too."
Cさん:"I am sorry three."
Aさん:"What are you sorry for?"
Cさん:"I am sorry five."
・・・・・

ご興味のある方は下記のサイトをご覧下さい。
http://corner.youth.cn/humor/200903/t20090330_883584.htm

中国の東北人

  私の出身は中国の吉林省というところで、冬はマイナス25℃にもなる、冷凍庫よりも寒いところです。中国では地理的に東北にある黒龍江省(省都:ハルビン)・吉林省(省都:長春)・遼寧省(省都:瀋陽)の東北三省を合わせて「東北地方」と呼ぶことから、吉林省出身の人は「吉林人」というより「東北人」と呼ばれることのほうが多いです。
ちなみに、中国のインターネットでは、東北人は次のように紹介されています。
(結構あたっている!)

  • おおらかでストレート、人情味にあふれる
  • 中国でもっともメンツを重んじる人々が集まっている
  • お金のことよりまずは友情なので商談には要注意
  • 自己主張が強く意見の合わない人がいると喧嘩になることもある
  • 信用を得るにはいっしょに酒を飲まないといけない

2001年には、「東北人はみんな生きた雷鋒※1なんだ」 という東北弁の歌が中国全土で大流行し、東北人は人情味にあふれるというイメ-ジが全国に広がりました。

 

東北人はみんな生きた雷鋒なんだ

張さんが車で東北へ行ってぶつかった
事故を起こした運転手は卑怯者で逃げた
一人の東北人のお陰で
病院に運ばれて5針縫ったら治った
張さんは飯を奢った
ちょっぴりだけ飲んでいたらダメだと言われた
東北人の言う事にゃ
おらんとこはみんな東北人だ
おらんとこの名産は朝鮮人参だ
おらんとこは豚肉と粉条を煮込んで食うんだ
おらんとこはみんな生きた雷鋒なんだ
おらんとこにそんな奴ぁいねえ
車ぶつけて助けねえなんて
おらんとこの山には珍しいキノコがあるんだ
そんな奴ぁ東北人じゃねえ
「おねえちゃん、酸菜ちょうだい」

※1:中国人民解放軍の模範兵士で、22歳のとき電柱を輸送中に殉職。
  1963年3月5日、毛沢東が「雷鋒同志に学ぼう」運動を開始。
  無私の象徴としてヒーローに祭りあげられた。


中国 東北地方について(wikipedia)

日本での初体験

 

先週、同僚のGさんに連れられて、初めてプリクラを撮ってきました。
制服を着ている中高生の中に混じって、ちょっと恥ずかしかったのですが、本当に楽しかったです!
日本に来てからの「初体験」はいろいろありますが、次のようなことが特に印象に残っています。

その1
初めてお刺身を出された時、中国では生でお魚を食べる習慣がなかったため、噛まずに飲み込んでしまいました。そんなわけで、今でもお刺身の本当の味を知りません。
どうやら、脳が食べられないものは食べるなと命令しているようで、今でも苦手です。

その2
大学を卒業したてのころ、2年間ほど高校で英語を教えていました。年齢がそんなに離れていない生徒から「富士山」というあだ名を付けられたこともあります。
どうやら、私がいつ怒り出すか分からないことから、富士山がいつ爆発するか分からないことにたとえて、「富士山」というあだ名になったようです。
来日して初めて富士山を見たとき、いろいろなことを思い出して、思わず泣きだしそうになってしまいました。

その3
「王監督と親戚?」と聞かることがよくあります。そんな時は「王監督って誰?」とわざと冷たそうに答えていました。確かに大昔は親戚だったかもしれませんが、中国では「王」という名前の人は何億人もいるんです・・・。ごめんなさい!
(「王」中国では2番目に多い苗字です。ちなみに一番は「李」で、三番は「張」です。)

その4
「東京ラブストーリ」は中国でも放送されていて大人気でした。初めて日本語の「東京ラブストーリ」をみたとき、なぜか、「来た!」叫びたいほど嬉しかったことを覚えています。
中国にいたときは、「これは何ですか。これは机です。」というレベルの日本語しかできなかったので、まさか自分が吹き替え版ではなく、日本語版の「東京ラブストーリ」が理解できるなんて夢にも思っていませんでした。見たあと、すぐに友達に自慢してしまったほどです。

February 14

祥林嫂式的悲痛

悲痛是什么颜色的?虽然答案谁也不知道,但是如果真的不得不用一种颜色来形容的话,应该是灰色的吧!那么,悲痛又应该是怎样来表达的呢?不同的人有不同的表达方式,有人溢于言表,有人深藏内心。那些溢于言表的应该是最容易治疗的,哭过,笑过,就好了;而那些藏在内心的却是伤的最深的,虽然表面上看不到丝毫的鲜血和伤痕。

 

和我在同一所学校有一位教中文的老师,前几天国内的妈妈突然检查出了癌细胞,说是晚期,不久就会永别人世了。这位老师马上请了假回国了,在医院陪了妈妈一周,但终因在日的还在上小学的女儿没有人照料而不得不匆匆从国内回来了。从国内回来后的这位老师变成了一个活生生的现代祥林嫂。不论见到谁都哭诉一番,悉数种种母女情之类的。她母亲60出头,家里生活条件也很好,儿女日子过得也很红火,正是该安享晚年的时候。每个人都表示很同情她,病发现的太晚想治都没有办法治;老人操劳了一辈子,终于能享几年福了,老天却不让她享了;女儿离的太远,想在母亲临终前照料一下也没有办法实现这个愿望…

 

对她的遭遇,我也是表示同情的。可是,真正的痛苦谁又能理解并为之承受呢?也许人性格的不同决定了其所表达自己痛苦的方式也不同。我也曾经承受过这样的痛苦,甚至要比她的要强烈几倍,几十倍…可是即使是到了现在也没有人知道,因为自己从未曾说起过。真正的痛苦是要自己来默默承受的,真正的痛苦不要去诉说,要用灵魂来体验来感受。

 

表面上的我还是那个快乐的我。可是自从那次真正的痛苦的打击以来,总觉得自己的心里、自己的灵魂深处好象缺少了一点什么。究竟是些什么,自己也说不清楚。好像是一种模糊的“不在乎”,对待任何事情的失去和所得,都变得有那么一点点不在乎。当生活中面临着要失去些什么的情况时,心里总是有个小小的声音在说:失去了又能怎么样?反正我已经失去最重要的了。

 

这是一种怎样的情结,自己也不十分理解。有时想想,觉得自己其实已经是一个不健全的自己,一个残缺的、病态的自己。

 

并不是不再相信人与人之间的感情,并不是周围没有值得信赖的朋友,也并不是因为身边没有爱自己的亲人,可是,总觉得这种在自己灵魂深处根深蒂固的悲痛,不应该要让人分担,也没有人能够为自己分担。

 

我的灵魂在本质上是孤独的。我的悲痛附着在我孤独的灵魂上,像拧得紧紧的螺丝扣,甩之不去,每在回忆时,深深啃噬着自己。

 

我的性格决定我不会像祥林嫂一样四处唠叨,可有的时候真的希望自己能够学会唠叨。

 

唠叨也是一种释放,也许释放后会得到解脱吧!